国産漆について
和×和は、香川県善通寺市の国産漆専門工房「和うるし工房あい 」の専門ブランドです。
岩手県、茨城県、徳島県、香川県などの日本の産地で産出された、工房が見極めて選んだより選りの
国産漆のみを使った、健やかで美しいうつわをお届けしています。

そもそも「漆」とは何でしょう。
「漆」という言葉は、「ウルシの木」「ウルシの木から採った樹液」「塗り物の漆器」とそれぞれの状態をすべてさします。
ウルシの木について
「ウルシの木」は、漆工芸の原材料となる漆樹液を生産する落葉高木樹です。日本で主に使われる漆塗料になるのは、日本、中国、朝鮮半島に生育するウルシ科ウルシ属のウルシノキ。大きなものは高さ10メートルにも成長します。
このウルシの樹の樹液が天然塗料としてたいへん優れていることが古来より知られており、活用されています。
種が厚いロウに包まれており自然発芽しにくく、ハゼの木のような旺盛な繁殖力はありません。昔から人の手によって管理栽培されてきました。よく山野で真っ赤に紅葉する、触れるとかぶれる木が「ウルシの木」と一般的には認知されていますが、その大半はハゼやヌルデなどの近似種です。ウルシの木は今も管理栽培されているため、一般の方が漆樹液生産地以外の地域の里山で、偶然ウルシの木と出会うことはまれです。
ウルシの木は、漆樹液のほか、実からロウを採る事もでき、江戸時代は重要な四木三草として、各藩で植栽が奨励されました。
※左記の写真のウルシ畑は工房の畑です。
現在はさらに木が成長し、2016年より漆掻きを行っています。
ウルシの樹液、漆塗料について
成熟したウルシの木より「漆掻き」という作業によって、傷をつけた幹から出た樹液を採取します。
この漆樹液は、ウルシオール・水分を主体としたエマルジョンで、空気中で重合硬化する天然の高分子材料です。日本では縄文時代からこの作用と効果が知られ、日本人の先祖が樹液の採取、使用をしていたと考えられています。
この採取された漆樹液は、濾しただけの生うるしの状態もしくは「なやし、くろめ」による精製作業を経て(精製漆)、漆工芸の塑像や塗料に使われます。

漆の歴史について
日本人の漆の活用の歴史はたいへん古く、縄文時代から始まったとされています。
主に接着剤、塗料として使われており、それを裏付ける最も古い縄文時代の遺跡は、北海道函館市垣ノ島B遺跡 世界最古の約9000年前(縄文時代早期)の出土品です。
ほか、縄文時代中期の三内丸山遺跡、縄文時代晩期の青森県是川遺跡などの遺跡で、縄文人の作り出した華やかな漆製品がみられます。
書物に漆工という意味をあらわす記載が登場したのは「伊呂波字類抄」です。
倭武皇子(ヤマトタケルノミコト)が宇陀の阿貴山で猟をしていたとき、漆の木を折ってその汁を矢先に塗って射ると、大猪にとどめを刺すことができた。その際に、漆の汁で皇子の手が黒くうるわしく染まったので、漆の樹液を集めさせて持ち物に塗って、漆部官(ぬりべのかん)をもうけたとされています。
その後、漆の美しさや特性を最大限に活かした技法が日本で花開き、長い歴史の間に繊細で美しい漆工芸品をさまざまに展開させて、海外で高く評価されていました。

国産漆の産地について
国産漆の日本最大の生産地は、岩手県二戸郡浄法寺町です。国産漆の約7割を生産している一大産地で、ここで生産される「浄法寺漆」は、岩手県の中尊寺金色堂や京都府の金閣寺、栃木県の日光二社一寺をはじめとする多くの国宝や重要文化財の修復に使われてきました。
次に多いのは茨城県です。国産漆の15%ほど生産しています。茨城県北西部に位置する大子町と常陸大宮市では古くから漆の生産が行われており、水戸藩もウルシの植栽を奨励していました。
ほか、国産漆は山形、長野、福島、新潟、栃木、京都、岡山、徳島等で、地元の有志の方によりごくわずかに生産されるのみで風前の灯となっています。
国産漆の生産量について
現在、日本で消費される天然漆の98%は中国産漆などの外国産です。国産漆の供給は2%にしかすぎません。
国産漆の生産量は、明治初期は700トンほどありましたが、どんどん減少し明治後期には100トン代まで減少しました。
中国からなどの外国産の漆の輸入は江戸時代からすでに行われており、明治20年頃からは一気に急増し、明治後期にはすでに国内需要の80%は外国産だったようです。
現在の国産漆の生産量は、農林水産省の「特用林産基礎資料」によると、2011年の日本全国の合計生産量は1,345kg、つまり1トン強にまで落ちています。

漆掻きについて
よく成長したウルシの樹の幹に傷をつけて、漆樹液を採る作業のことを「漆掻き」と言います。
日本では「殺し掻き」という方法で行われています。殺し掻きの漆掻きの作業は、初夏〜晩秋をワンクールとし、4〜5日おきに木の幹に専用の刃物を用いて傷をつけ、にじみ出た樹液を専用の道具で回収します。
一般的に「1本の木から採れる漆の量は牛乳瓶1本分」と言われます。
よくゴムの木の樹液採集のように(傷をつけ流れ出る樹液を受ける容器を置いて回収する方法)簡易に行われていると思われていますが、日本での漆の採取は人間がこまかにかかわり手間をかけて行います。
漆樹液を採取する人を漆掻き職人などと呼びます。

季節による漆樹液の名称
地域にもよりますが、漆掻きの作業は6〜11月頃まで行われます。初夏から冬に近い晩秋まで行われるので、漆掻きの時期により、出てくる漆樹液の名称が異なります。
6月〜7月頃の初夏に採取する漆樹液は「初辺(初漆)はつへん、はつうるし」、7〜8月の盛夏に採取するのが「盛辺(盛漆)さかりへん、さかりうるし」、9月に採取するのが「遅辺(遅漆)おそへん、おそうるし」といいます。ここまでを総称して「辺漆 へんうるし」と呼びます。
これ以降の時期に、連続して重ねて傷をつけていた場所以外にも傷をつけて採った漆を「裏目 うらめうるし」と呼びます。
そして、「止掻き(止め漆)とめがき、とめうるし」で、幹から採る漆を最後まで採り尽くして終了します。
以前は、「枝掻き えだかき」などの伐採した枝から漆樹液を採る作業、伐採した幹の切株から出た漆樹液を採る「根漆 ねうるし」などもありましたが、現在はほとんど行われていません。
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季節による漆樹液の品質について
6月〜7月頃の初夏に採取する「初辺漆」は、呂色仕上げと言うつや付けの作業に向くとされています。
また、一番高品質とされているのは7〜8月の盛夏に採取する「盛辺漆」で、漆の主成分のウルシオールが最も多いとされています。
「国産漆のうつわ専門店 和×和」では「初辺漆」を使ったものはほとんど取り扱いません。「盛辺漆」、秋に採取する「遅辺」「裏目漆」を主流に使っています。
秋に採取する「遅辺」「裏目漆」は、個性的なものが多く、特に表情の面白い漆は上塗りに使っています。

※上記の写真資料は、すべて「和うるし工房あい」が撮影したものです。無断転用は禁じます。
和×和は、香川県善通寺市の国産漆専門工房「和うるし工房あい 」の専門ブランドです。
岩手県、茨城県、徳島県、香川県などの日本の産地で産出された、工房が見極めて選んだより選りの
国産漆のみを使った、健やかで美しいうつわをお届けしています。

そもそも「漆」とは何でしょう。
「漆」という言葉は、「ウルシの木」「ウルシの木から採った樹液」「塗り物の漆器」とそれぞれの状態をすべてさします。
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ウルシの木について

このウルシの樹の樹液が天然塗料としてたいへん優れていることが古来より知られており、活用されています。
種が厚いロウに包まれており自然発芽しにくく、ハゼの木のような旺盛な繁殖力はありません。昔から人の手によって管理栽培されてきました。よく山野で真っ赤に紅葉する、触れるとかぶれる木が「ウルシの木」と一般的には認知されていますが、その大半はハゼやヌルデなどの近似種です。ウルシの木は今も管理栽培されているため、一般の方が漆樹液生産地以外の地域の里山で、偶然ウルシの木と出会うことはまれです。
ウルシの木は、漆樹液のほか、実からロウを採る事もでき、江戸時代は重要な四木三草として、各藩で植栽が奨励されました。
※左記の写真のウルシ畑は工房の畑です。
現在はさらに木が成長し、2016年より漆掻きを行っています。
ウルシの樹液、漆塗料について
成熟したウルシの木より「漆掻き」という作業によって、傷をつけた幹から出た樹液を採取します。
この漆樹液は、ウルシオール・水分を主体としたエマルジョンで、空気中で重合硬化する天然の高分子材料です。日本では縄文時代からこの作用と効果が知られ、日本人の先祖が樹液の採取、使用をしていたと考えられています。
この採取された漆樹液は、濾しただけの生うるしの状態もしくは「なやし、くろめ」による精製作業を経て(精製漆)、漆工芸の塑像や塗料に使われます。
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漆の歴史について
日本人の漆の活用の歴史はたいへん古く、縄文時代から始まったとされています。
主に接着剤、塗料として使われており、それを裏付ける最も古い縄文時代の遺跡は、北海道函館市垣ノ島B遺跡 世界最古の約9000年前(縄文時代早期)の出土品です。
ほか、縄文時代中期の三内丸山遺跡、縄文時代晩期の青森県是川遺跡などの遺跡で、縄文人の作り出した華やかな漆製品がみられます。
書物に漆工という意味をあらわす記載が登場したのは「伊呂波字類抄」です。
倭武皇子(ヤマトタケルノミコト)が宇陀の阿貴山で猟をしていたとき、漆の木を折ってその汁を矢先に塗って射ると、大猪にとどめを刺すことができた。その際に、漆の汁で皇子の手が黒くうるわしく染まったので、漆の樹液を集めさせて持ち物に塗って、漆部官(ぬりべのかん)をもうけたとされています。
その後、漆の美しさや特性を最大限に活かした技法が日本で花開き、長い歴史の間に繊細で美しい漆工芸品をさまざまに展開させて、海外で高く評価されていました。
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国産漆の産地について
国産漆の日本最大の生産地は、岩手県二戸郡浄法寺町です。国産漆の約7割を生産している一大産地で、ここで生産される「浄法寺漆」は、岩手県の中尊寺金色堂や京都府の金閣寺、栃木県の日光二社一寺をはじめとする多くの国宝や重要文化財の修復に使われてきました。
次に多いのは茨城県です。国産漆の15%ほど生産しています。茨城県北西部に位置する大子町と常陸大宮市では古くから漆の生産が行われており、水戸藩もウルシの植栽を奨励していました。
ほか、国産漆は山形、長野、福島、新潟、栃木、京都、岡山、徳島等で、地元の有志の方によりごくわずかに生産されるのみで風前の灯となっています。
国産漆の生産量について
現在、日本で消費される天然漆の98%は中国産漆などの外国産です。国産漆の供給は2%にしかすぎません。
国産漆の生産量は、明治初期は700トンほどありましたが、どんどん減少し明治後期には100トン代まで減少しました。
中国からなどの外国産の漆の輸入は江戸時代からすでに行われており、明治20年頃からは一気に急増し、明治後期にはすでに国内需要の80%は外国産だったようです。
現在の国産漆の生産量は、農林水産省の「特用林産基礎資料」によると、2011年の日本全国の合計生産量は1,345kg、つまり1トン強にまで落ちています。
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漆掻きについて
よく成長したウルシの樹の幹に傷をつけて、漆樹液を採る作業のことを「漆掻き」と言います。
日本では「殺し掻き」という方法で行われています。殺し掻きの漆掻きの作業は、初夏〜晩秋をワンクールとし、4〜5日おきに木の幹に専用の刃物を用いて傷をつけ、にじみ出た樹液を専用の道具で回収します。
一般的に「1本の木から採れる漆の量は牛乳瓶1本分」と言われます。
よくゴムの木の樹液採集のように(傷をつけ流れ出る樹液を受ける容器を置いて回収する方法)簡易に行われていると思われていますが、日本での漆の採取は人間がこまかにかかわり手間をかけて行います。
漆樹液を採取する人を漆掻き職人などと呼びます。
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季節による漆樹液の名称
地域にもよりますが、漆掻きの作業は6〜11月頃まで行われます。初夏から冬に近い晩秋まで行われるので、漆掻きの時期により、出てくる漆樹液の名称が異なります。
6月〜7月頃の初夏に採取する漆樹液は「初辺(初漆)はつへん、はつうるし」、7〜8月の盛夏に採取するのが「盛辺(盛漆)さかりへん、さかりうるし」、9月に採取するのが「遅辺(遅漆)おそへん、おそうるし」といいます。ここまでを総称して「辺漆 へんうるし」と呼びます。
これ以降の時期に、連続して重ねて傷をつけていた場所以外にも傷をつけて採った漆を「裏目 うらめうるし」と呼びます。
そして、「止掻き(止め漆)とめがき、とめうるし」で、幹から採る漆を最後まで採り尽くして終了します。
以前は、「枝掻き えだかき」などの伐採した枝から漆樹液を採る作業、伐採した幹の切株から出た漆樹液を採る「根漆 ねうるし」などもありましたが、現在はほとんど行われていません。

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季節による漆樹液の品質について
6月〜7月頃の初夏に採取する「初辺漆」は、呂色仕上げと言うつや付けの作業に向くとされています。
また、一番高品質とされているのは7〜8月の盛夏に採取する「盛辺漆」で、漆の主成分のウルシオールが最も多いとされています。
「国産漆のうつわ専門店 和×和」では「初辺漆」を使ったものはほとんど取り扱いません。「盛辺漆」、秋に採取する「遅辺」「裏目漆」を主流に使っています。
秋に採取する「遅辺」「裏目漆」は、個性的なものが多く、特に表情の面白い漆は上塗りに使っています。
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※上記の写真資料は、すべて「和うるし工房あい」が撮影したものです。無断転用は禁じます。
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